阿部ゆきのぶさんメッセージ

 こんにちは、越です。連日、『翳りの森』の稽古をしています。たいへん楽しいです。

そんななか、作者・阿部ゆきのぶさんから、作品に対するメッセージを頂戴しました。うれしいですし身がひきしまります。下に全文を掲載します。

ヤリナゲの公演を見に行って思ったのは、

「あぁこれを作った越さんていう人は真面目で、不器用で、偏屈で、生き難さを抱えた人なんだろうなあ」

ということでした。間違ってたらごめんなさい。

でも僕はそんな人を描くのが好きなので、今回のお話しがあった時、信頼してお任せできると思いましたし、

越さんの演出で自分の本がどんな作品になるのか、とても楽しみです。

自分の本と言いましたが、「翳りの森」に関していうと、

半分以上は僕の本と言うよりも太宰とチェーホフの本なので、

この本が面白かったところで単純に僕の功績では無い、ということをお断りした上で、

だからこそ言えるのですが、かなり面白い本なんじゃないかと思っています。

「太宰の文章を交えつつチェーホフのワーニャ伯父さんのストーリーを現代劇でやる」

という、わけのわからないコンセプトで、ゲンパビでやった時も人に説明するのが非常に難しく宣伝には苦労したので、

そんな作品を人様にお任せするのが心苦しいところもありまして

せめてなぜこんなことを書こうと思ったのかということを、少し書きたいと思います。

はじめのきっかけは「ヴィヨンの妻」を読んでいた時、なんとなくワーニャの終わり方に似ていると感じたことでした。

そういえば「斜陽」には確かチェーホフの名前が出てきていたなと少し調べてみると、

「斜陽」が「桜の園」を意識して書かれたということを知り、そんなことを思いながらだんだんと構想が出来ていったんだったと思います。

しかし、です、

チェーホフに影響を受けていながら、太宰自身の生き方は、どうにもチェーホフ的では無かったようにも思うのです。

「ワーニャ伯父さん」で、ワーニャが自殺を図りながらも、耐えて生きていくことを選択する結末は、

「かもめ」でトレープレフが自殺を選んでしまったことと対比して、チェーホフの考えの変遷を表していると言われることがあります。

ご存知の通り、太宰治は1948年6月13日、玉川上水にて入水自殺しています。

絶望に耐え、それでもただ生きていくことにひと筋の希望(とも言えないものかもしれませんが)を見出していく、

チェーホフのテーマは優しいようでいて残酷なようにも思います。

何故太宰はワーニャたりえなかったのだろう、そんなことに思いを馳せながら書いたと記憶しています。

太宰もチェーホフも分からなくても楽しめるようにはなっているはずですが、もし興味があれば観劇前にサラッと読んでみるのも良いかと思います。

どっちもインターネットで読めますし。

チェーホフの描く、何一つ良くなることなんて無い、駄目になっていくばかりの世界は、

100年以上経った今も変わることなく、うんざりするような現実の中で私たちは生きていかなくちゃあいけない。

だからこそチェーホフの作品は今も人の心を打つのだろう、と思うと嫌な気持ちもしますが、

それでもこの作品が、観た人にとって何か、希望なり救いなり、それに満たない小さなものにでも、なれたらと思います。

何卒よろしくお願いいたします。

阿部ゆきのぶ

せっかくですので、原作への青空文庫へのリンクを貼ります。

『ワーニャ伯父さん』

http://www.aozora.gr.jp/cards/001155/files/51862_41345.html

『斜陽』

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1565_8559.html

『ヴィヨンの妻』

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2253_14908.html

公演情報はこちらのページからご覧いただけます。

『翳りの森』の特別ブログ企画も、水面下で始動しています。こちらもお楽しみに。